
パワースポット流行なのか、TVなどで度々取り上げられている。
何かにすがる、足しにする、という考えは大昔からあるもので、度が過ぎなければ悪いことではないんだが、そこに行けば必ず何かを得られる、といった期待は無いほうが良いだろう。
メディアに取り上げられてさらに有名になり、それこそ行列の出来ているパワースポット、というのはとても興ざめ。
実は、先日どんなもんかと清正井に行ったのだが、正月明けの平日の昼下がりで2時間半待ち、といった、もうとんでもなく興ざめな事があり。
もちろん断念。そしてせっかくだから、と参拝した直後、白鵬・朝青龍 両横綱による奉納土俵入りが行われる、ということで、これまたせっかくなので拝見した。
すごいよ、すごい。
力を持っている人、というのかなぁ、戦って切り開いた人の絶対的なオーラ、といえば、、、わかりやすくないか。
井戸よりこっちのパワーでしょ、と思った。
だいたいにおいて、パワースポットって何なんだか良くわかっていないんだが、行ったら心が軽くなった、離れられないと思った、と感想を聞く。
それならどのメディアにも見向きもされていないであろう、アタクシの実家の田舎は素晴らしい。
山しかない。その山と山の間の道が良い。
そこを通ってご先祖さんのお墓に行くのだ。
ライブや個展なども同じだね。
一生懸命に思いを込めて作られたステージや作品は、観るものの心をうつもの。
どこに何の力があるのかは、自分が作って、そして、自分が感じるんものなんだろう。

言葉の力は大きい。
かわいいかわいいと言葉をかけられながら凍った氷の結晶は、可愛らしい形になり、罵声を浴びせられながら凍った氷のそれは、歪んでいた。
子供は愛されていることや存在を認められていることを感じとることができれば、叱責に憎しみの成分を感じることは少なく、それは大人も同じだと思う。
そして子供のころに感じた印象は後に残る。
下手な英語の発音も、先生から『帰国子女のようだ』と言われれば、その生徒は自分の可能性を信じるだろう。
何気なく発せられた一言が、人の道の選択や命を左右することもある。
言葉を扱う者として、ウソ偽りは吐きたくないし、言葉を大切に使いたい。